「理由はないけど”なんとなく”苦手な人」に出会ったときの心理と、おすすめの考え方

理由はないけど”なんとなく”苦手に感じる人、いませんか?

特別に何かされたわけではない。それなのに、なんとなく苦手に感じる人っていませんか?

程度はあれど、誰もが一度は感じたことのある感覚なのではないかな、と思うんですよね。

私自身も、特に心理学の勉強を始める前は、理由なく苦手な人がすごくたくさんいました。

話したこともない、何かをされたわけでもない、むしろ笑顔で挨拶してくれたりもする。それなのに、苦手。

極めつけは写真を見ただけで、「うわっ!この人関わりたくないな…」なんて、思ってしまう事もありました。(本当失礼な話ですよね。笑)

だから、私自身も経験的に理解できるんです。

この「理由はないけどなんとなく苦手に感じる人がいる」という状態、すごく苦しいんですよね。

理由がわからないから、どうしたらいいのかもわからないし。

なんだか自分って心が狭い人間なのかなと、自己嫌悪の感情がでてくることもあるし。

特に職場などの普段関わる頻度が高いコミュニティーでその感情を感じてしまうと、毎日が憂鬱になることもあるよなぁと思ったりします。

そこで今回は、「理由はないけど”なんとなく”苦手な人」に出会ったとき心理と、おすすめの考え方について解説したいと思います。

目次

理由はないけど”なんとなく”苦手と感じる理由

そもそも、「理由はない」ということは、相手のことはあまりよく知らない状態、とも言えます。

もし相手のことをよく知っていたら、なぜ相手に対してそう感じるのかも、理解しやすいと思うんですよね。

だから、今回のテーマである「理由はないけど”なんとなく”苦手」という状態は、なかなか自分で理解しにくく、苦しく感じたりもするのかなと。

そこでまずは、理由はないけど”なんとなく”苦手、と感じる理由として、いくつかの例を挙げてみたいと思います。

理由:例1)自分のコンプレックスが刺激される

理由はないけど”なんとなく”苦手、と感じる理由として、自分では気が付かないうちに「自分のコンプレックスが刺激されている」という場合があります。

実はコンプレックスを刺激されるというのは、2つのパターンに分けることができます。

例えば、職場の会議などを想像してもらえるといいかもしれませんが、「大勢の前で話す」ということが苦手な場合で考えてみようと思います。

「大勢の前で話す」ことが”得意な人”にコンプレックスを感じる

こちらは、自分の劣等感を感じるパターンです。

【大勢の前で話すことが苦手=あまり良くないこと】

と認識している状態で、相手と自分を比較するとします。すると、相手は凄いけれど、自分はダメだ。と感じる可能性が高いと思うんですよね。

つまり、自分ができないことをできる人を見ると、自分の劣等感を見ることにつながり、嫌な感じがするんですよね。誰だって、劣等感なんて感じたくないですからね。

その結果、「(自分が苦手なことが得意な)あの人、なんとなく苦手」と感じてしまうようなのです。

「大勢の前で話す」ことが”苦手な人”にコンプレックスを感じる

一方こちらは、自分の無力感を感じるパターンです。

例えば、人前で話すことは苦手なのに、大勢の人が参加している会議で頑張って話している人がいるとしましょう。

その光景を「同じく大勢の前で話すことが苦手」だという人がみるとすると、自分を重ねたり、あたかも自分がその状況にいるように緊張してしまうこともあると思うんですよね。

そして、その時実は見たくない、気づきたくない自分(つまり苦手な自分)を見ているような気分になることがあるんです。

自分も人前で話すことが苦手なので、必死に話している相手の気持ちが理解できるし応援したい、助けてあげたいと思う人もいるでしょう。

でも実際には、何もしてあげられないわけじゃないですか。

つまり、助けてあげることができない。そんな無力感を感じることも実際にあるんですよね。

その結果、前のパターンと同じく、「あの人、なんとなく苦手」と感じてしまうと考えられます。

理由:例2)基本的な性格や価値観の不一致がある

わたしたちは、自分と価値観や基本的な性格が同じ人といると、安心感を感じます。
それは、「理解できる」からなんですよね。

相手の言動や行動について、なぜそれを言ったのか、なぜその行動をしたのか、自分の性格や価値観と照らし合わせることで理解できる、と考えるとわかりやすいでしょうか。

ということは、つまり、自分と価値観や基本的な性格が”違う人”といると、「理解できない」と感じるとも言えるでしょう。

よく聞く話に、外国の人が苦手、という感覚があります。もちろん、育った文化や言語によって、性格や価値観の傾向はそれぞれ変わってきますよね。

とはいえ、育った文化や言語が違っても、仲良くなってみると(つまり、相手を理解していくと)実は性格や価値観が一緒、ということは、当たり前にある話だと思うんです。

ただ、理解できないものに対して、私たちは警戒します。そして、理解できるまで距離をとろうとします。

つまり、理解するために必要な「仲良くなる」というのをする前に、距離を取ってしまうんですよね。

すると、余計に相手がわからなくなります。

結果として、理解するチャンスがなくなり、「あの人、なんとなく苦手」という感覚が生まれてくることもあると考えられるんです。

理由はないけど”なんとなく苦手”と感じることが辛いのはなぜか

辛いのは、自分を責めてしまうから

理由はないけど”なんとなく苦手”と感じることがなぜ辛いかというと、最終的に「自分を責めてしまう」というところにあります。

相手のことをよく知らない、にも関わらず、相手に対してなぜかよくない感情をもってしまう自分を、否定的に捉えてしまうんです。

例えば、同じチームでプロジェクトを進めているメンバーに、なんとなく苦手な人がいるとしましょう。

すると、仲間として「苦手」と感じてはいけない、プロジェクトを進めるために、仲良くしなければならない。

そうやって、自分の感情に対して「禁止」をするということになると思うんです。

ただ、心理学では「禁止」は「欲求」をつくると言われています。

つまり、苦手と感じてはいけないと思うほど、苦手と感じる感覚が強くなる、と言いますか・・。

最終的には、苦手を通り越して「嫌い!」と感じてしまったケースも、お聞きしたことがあります。

なかなか厄介ですよね。

”なんとなく苦手”な状態から理解した後に、もっと辛くなることも

先に、相手を理解できないことが「あの人、なんとなく苦手」をつくることがある、とご紹介しました。

すると、相手を理解できると、「なんとなく苦手」が解消されてスッキリ!・・・となるかというと、そうではないんですよね。

もし相手への苦手意識がなくなった場合、実際、より辛い気持ちになることもあると思うんです。

実はこれが、私が「理由がなく苦手」という状態はあまりおすすめできないなと感じる一番の要素なのですが。

どういうことかというと、今から書く場面を想像してみて欲しいんです。

苦手だと感じる人を見つける
→その人と仕事で深く関わる機会ができる
→話してみると「実は仕事への考え方や価値観、プライベートの趣味まで一緒」だと知り、盛り上がる
→自分勝手に苦手だと思っていたことを申し訳ないと感じる
→申し訳なさを感じながら相手と関わり続けることになり、親密になりづらくなる

どうでしょう?理解して、苦手ではなくむしろ仲良くなりたい!と思ったとしても、理由がないのに苦手だと感じてしまった自分を責める気持ちは解消されないため、仲良くなりづらくなってしまうんですよね。

それこそ、罪悪感を強く感じているといえますね。

これって、凄くもったいないというか、悲しいというか。

だからこそ、”なんとなく苦手な人”だと感じている時、何が起こっているのか知り、自分を責める気持ちは無くしておいた方がいいな、なんて、思ったりするんです。

理由はないけど”なんとなく”苦手な人に出会ったら、3Stepで本当の自分に気付いてみる

ということでここからは、3つのStepに分けて本当の自分の気持ちに気付くための方法をご紹介していこうと思います。

Step.1  苦手に感じる人から苦手に感じる<要素>を切り離してみる

いきなりちょっとややこしい書き方をしてしまいましたが、つまり、

「あの人苦手(人全体)」→「あの人の○○が苦手(要素)」

というように、まずは要素を取り出してみてほしいのです。

要素というのは例えばこういうものが挙げられます。

要素の例:

容姿や外見
例)化粧の濃さ、髪型、体形、服装、持ち物 など

話し方
例)声のトーン、話すスピード、身ぶり手ぶり、表情 など

他者との関わり方
例)話すときの距離感、仲良くしている人の数、人と仲良くなるスピード、異性との関わり方 など

これらはあくまでも一例ですので、ぜひ苦手な人を思い浮かべながら洗い出してみてくださいね。

Step.2 その要素を嫌っている理由を探る

心理学では、あなたが嫌っている要素のことを「シャドー」と呼ぶことがあります。

シャドーとは、実は「あんな人のようにはなれない、またはなりたくない」と感じている要素のことをいいます。

つまり、過去にあなたが否定し、自分が同じようになることを禁止した要素(自分の一部)だと考えていただくと分かりやすいと思います。

・例えば「太っている人」が苦手だとしたら、
あなたは過去に、太っている人は怠惰だ、と否定し、怠けることを自分に禁止し頑張り続けていませんか?

・例えば「声のトーンが高い人」が苦手だとしたら、
あなたは過去に、声が高い人はぶりっ子だ、と否定し、人前で可愛い自分でいることを禁止し自分の魅力を封印していませんか?

・例えば「友達がたくさんいる人」が苦手だとしたら、
あなたは過去に、八方美人は性格が悪い、と否定し、いろんな人と交流することを怖がってはいませんか?

こんな風に、Step.2では、苦手に感じる要素をもった理由と、それによって今自分に禁止していることを考えてみてください。

Step.3 自分の本当の気持ちに気付

さいごに、気づいたシャドー(禁止)から、もう一度「私はどんな自分でいたいのか?」を選びなおします。

・あぁ私は、ちょっとぐらい怠けたりのんびりしたいんだな~
・あぁ私は、可愛いって思われたいし魅力的になりたいんだな~
・あぁ私は、もっと知り合いを増やしたいんだな~ などなど。


そしてその気持ちを否定しないこと。
そんなの無理だよ!とか思わず、ただ認めてあげること。これがとても大切です。

だって、どれもあなたの大切な感情なんですから。

***

ここまで読んでいただいて、なんとなく気づいた方もいらっしゃるかもしれませんね。

真実は、「気になるあの人自体が苦手なのではなく、自分をがんじがらめにしている鎖(=禁止している要素)に反応していた」ということなんです。

シャドーになるほどその要素を禁止したということは、それ相応の事情があったのだと思います。

それは自分を守るためかもしれないし、誰かを守るためかもしれません。

人は多かれ少なかれ、自らを否定し、誰かを否定し、傷つきながら成長し、社会に適合していきます。

子供(依存時代)から大人(自立時代)に成長するためには、必要な痛みもあるかもしれません。

でも大人になった私たちは、もう一度自分の生き方を選択することができると思うのです。

他人を苦手だと思う事に罪悪感をもつよりも、「本当はどんな自分でいたいのか?」

この視点をもってみることを、おすすめしたいなぁと思っています。

さいごに

今回は、なかなか掴みづらい、「”なんとなく”苦手な人」について書いてみました。

苦手な人がいるという事自体は、特別なことではないですし、悪いことでもありません。

苦手な人がひとりもいない!という方が、珍しいかもしれませんね。

だから、どうか、その気持ちをもつ自分自身を、責めないでいただきたいんですよね。

そもそも、苦手な人がいる自分に悩んだり、そんな自分を嫌っているということは、本当は「苦手な人がいなければいいな」と願っていることだと思うんです。

そしてその根底には、みんなと仲良くしたい、みんなといい気分を分かち合いたい、誰かを大切にしたいという、あなたの願いがあるのだろうなと。

その願いに、ぜひ気がついていただきたいんですよね。

そこに気がつくことで、人間関係や人生が、思いもよらずいい方向にガラッと変わることもあるのではと思い、今回の記事を書かせていただきました。

また、自分ひとりでやるのではなく、親しい人に相談したり、カウンセリングを利用してみるというのも、自分の本当の願いに気づくきっかけになるかもしれませんね。

今回はここまで。何か参考になれば嬉しいです。

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