子供をもつことに前向きになれない心理と、そこに隠れた気持ち

目次

自分の子供をもつことに対して前向きになれない心理

今回は、「子供をもつことに前向きになれない心理と、そこに隠れた気持ち」について書いてみようと思います。

さて、子供を持つことに対して前向きになれない、どこかネガティブな感覚があるとき。
実は子供をもつことではなく、自分自身がこの世界を楽しめない、この世界に喜びがあると思えない、
そんな気持ちが隠れていることがあります。

はじめに誤解がないようにお伝えしたいのですが、
子供をもちたい、家族をもちたいと思う事が普通で、そう思わないことは変だ、という話をしたいわけではないんです。

私たちはひとりひとり、人生をどのように過ごすが決めることができます。
どんな時間が好きか、どんな生活を送りたいか、どんな夢を叶えたいか、その気持ちが様々であることと同じように、子供や家族をもつかもたないかの選択も、自由です。
正解も間違いも、良い悪いも、ありません。

だから、例えばカウンセリングを受けたとして、「自分がどうなりたいか?」というゴールを、
「子供をもちたいと思えるようになる事」にしてしまうのは、
今の自分は間違っているから、自分を変えなければいけない。
という前提に立っているので、あまりおすすめできないなと思うのです。

ただ、子供を持つことに対して前向きになれない、どこかネガティブな感覚に「悩んでいる」気持ちがあるということは、少なくとも、自分が本当はどうしたいのかが分からなくなっている状態、といえるでしょう。

もしくは、自分の感覚が信用できない、世間からずれているような感じがする、自分は愛情が欠落しているなど、自分をあまりよくない存在のように感じる状態でもあるかもしれません。

そしてこれは、
「前向きになりたい私」と「前向きになれない私」が葛藤している状態と考えられるんですよね。

子供を持つことへの葛藤には、隠れた思い込みと自己攻撃がある

葛藤とは、自分の中に相反する(≒対立関係にある)感情がある状態を指します。
個人的に、この葛藤を抱えた状態のまま、ひとりで本当の気持ちを見つけようとするのは、結構苦しいと思うのですよね。

想像してみていただきたいのですが、
前向きになりたいのも、前向きになれないのも、どちらも「私」ですよね。
その2つが葛藤(≒対立)するということは、つまり、片方が片方を否定し合う状態だとも言えます。

ただ、その2つ、どちらも自分ですから、葛藤している状態は自分を否定し、傷つけ続けている状態ともとれるんですよね。

例えば、
結婚したいという感情と、まだ独身でいたいという感情。この2つの気持ちがが自分の中にある場合。

・結婚して愛する人と一緒に暮らしたい
という気持ちと、
・結婚したら色々とめんどくさいし自由がないし、独身でいたい
という気持ちが、
綱引きのように交互に出てきたとしましょう。

ここで見落としがちなポイントは、
この葛藤の根本には、何かしらの過去の経験や周りからの影響により「結婚している方が正しい」という潜在的な思い込みが隠れているということです。
つまり、結婚していない自分を「正しくない」と感じる気持ちがあるという事なんですよね。

この、意識的に上がってくる葛藤と、心の奥に潜む「結婚している方が正しい」という思い込みにより、
結婚したいと思っているのに行動できないのは怠惰だと思ったり、
独身が楽だと思っている自分は変だと思ったり、
とにかく自分を責める心の状態になってしまうんですよね。

そして子供を持つことに対して前向きになれない感覚に悩むときも、
これと同じ心理状態になっている考えられます。

つまり、
子供が欲しいと思うことが「普通」で「正しい」という思い込みをベースに、
・子供を持って幸せな家庭を築きたい
・めいいっぱい子供を愛したい
という気持ちと
・子供は欲しくない
という気持ちが葛藤している状態だと考えられるのです。

では、なぜそもそも、子供を持ちたいという気持ちがあるにもかかわらず、
真逆である「子供が欲しくない」という気持ちがでてくるのかというと、

実は、「子供を産むべきではない」という強い意志が隠れていることがあるんです。

子供を産むべきではないと感じる理由

ではここから、いくつかのパターンに分けて「子供を産むべきではないと感じる理由」について考えてみたいと思います。

子供に一瞬たりとも苦しみや悲しみ、不幸を感じてほしくない

この場合、

・自分は親として未熟だと感じる
・子供に辛い思いをさせたくない

という理由で子供を産むべきではないと感じていることが多いと思います。

この感情は「自分が子供の事を完璧に守ってあげることができて、安全に暮らせるようにしてあげないと!」と思っているからこそ感じるものですよね。
ということは、親になるには十分すぎる程の、子供への深い愛を持っているということだと思うのです。

つまり、このパターンの子供を産むべきではないという心理状態を作っているのは、
「子供を完璧に愛したい・完璧に幸せにしたい」という気持ちなのかなと。

ただ、完璧に”守らないといけない”と感じるということは、逆説的ですが、
”この世界は危険で、悲しみにあふれていて、傷つくことがたくさんある”
こんな風に感じているからこそ出てくる気持ちだと思うのですよね。

だって、この世界が平和であれば、喜びにあふれていれば、傷ついても最後には救われると感じていれば、
ここまでの危機感をもって「守らなければ」「危険を回避しなければ」とは思いにくいと感じませんか?

さて、そんな世界に対する怖れや絶望を持った人が、愛する子供を完璧に幸せにしたい気持ちを叶えるためにすることはなんでしょう。

それは、「子供をもたない」という選択なのではと思うのです。

自分が幸せにならないことにメリットがある

これは、自分が不幸であることにメリットがあり、あえてそれを選択している状態といえます。

なかなか自分では気づきにくいのですが、これまで色々な方のお話を伺わせていただく中で、
この「不幸であること」を選択している状態の方、少なくないなと感じるのですよね。

例えば、
自分が産まれてきたこと自体に憂いている
という人がいるとしましょう。

20代後半ぐらいになると、
親族に「早く○○の子供(孫)がみたい」といわれたり。
既に子供をもつ知人から「はやく産んだ方が子育ては楽だよ!」とアドバイスをもらったり。
こういうことって、割とよくあることですよね。

ただ、自分が産まれてきたこと、つまり自分の命を憂いている状態で、新しく命を授かることを勧められるとしたら。

感じることは、「無責任に言わないでよ!!」という感情かもしれませんね。
そして、自分を産んでくれた両親に、そもそも産んでほしくなかったと、怒りが出てくることもあるのかなと。

その怒りの根源は、「私の苦しい気持ちを分かってもらえない」という、悲しみかもしれません。

やっぱり、自分の気持ちを分かってもらえないというのは、本当に辛いと思うんです。
ましてや、両親には、どうしても一番分かってほしいと思ってしまいますしね。

となると、その気持ちをなんとか分かってもらうために、「断固として子供を作らない」という固い意志をもつこともあるのかなと。

あなたたちが私を産んだせいで、私は苦しい。だから私はあなたたちのような間違い(≒子供を産むこと)は絶対にしない!(この気持ち、私が断固として子供をもたなかったら、気づくよね?)

こんな風に。

うーん、なんだか書いていて、辛くなりますね。笑
これ、つまり復讐だと思うんです。

自分が産まれてきたこと自体が良くないことだったと証明し続けるために「幸せにならない」選択をしている状態なのかなと。

でも、なぜ、両親は、自分の娘に、息子に、子供をもつことを勧めるんでしょうか?
不幸になってほしいからでしょうか?

例外はあるにせよ、そこには純粋な、「あなたを産んでよかったと思う。幸せだったと思う。だから、あなたにも幸せになってほしい。私たちと同じように。」
こんな願いが隠れていることもあるのかなと、思ったりするのです。

もちろん、そんな風に思っているとは到底感じられないようなご経験がある場合も、私なりに理解しているつもりです。ただ、一度立ち止まって、なぜそんなことを言うのか、親の気持ちを客観的にみていくことも、時に大切なのかなと思ったりします。

なかなか、気づけないし、自分が今生きることがしんどいと感じる状況では、気づきたくないことなのですけどね。

女性であることで悲しい体験をしてきた

これは、女性に限ったお話になってしまうのですが、

例えば、

・女性なんだから○○しなさい(○○はやめなさい)と言われた経験がある
・ストーカー等の被害にあったことがある
・女性=弱い、力がない等の固定観念をもたれた

など、女性であるが故に辛い思いをしたことがあるとしたら。

子供をもつ、あえて言うならば、産むことに抵抗が出てくるのは、十分に可能性としてあり得ると思うのです。

子供を産むって、女性にしかできないことじゃないですか。
だからこそ、女性であることを、もろに感じることだと思うんですよね。

とすると、女性であることが原因で辛い思いをしたと感じ、女性であることに嫌悪感をもつのではないでしょうか。

結果として、女性であることを証明するような「子供を産む」という事は禁忌事項になりますから、「産まない」という選択を選びたくなることもあるだろうと思うのです。

さいごに

さて、どうでしょうか。
子供をもつことに対して前向きになれないことに悩んでいる時、真っ先に感じることは、

「自分はおかしいんじゃないか」
「女性であれば、母性がない私は薄情なのではないか」
「どうしてみんなが普通に願うことを、願えないのだろうか」

そう自分を責める気持ちだったりするのかなと思います。

そして、この気持ちに至るまでには、様々な葛藤があったのでは思うのです。

ただ、

完璧なまでに誰かを愛したい、守りたいと感じる愛情や、
身近な人と心から分かり合いたいという願いや、
自分自身の性に嫌悪感をもちながらも自分の本当の願いを切り捨てなかった強さで、

その葛藤と向き合ってこられたのではと思うのです。

そしてその葛藤は、誰にも理解してもらえなかったのではと。
周囲の人も、あなたの子供をもつことへの葛藤が、深い愛情や強さからきているものだとは、なかなか気づきにくいものですから。

もし誰にも気づいてもらえず、一人抱えていたお気持ちがあるのなら、
安全な場所であるカウンセリングの中でぜひ聞かせていただきたいなと感じています。

どうかお一人で苦しむことは、なさらないでくださいね。

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