私は嫌われていると感じること、ありませんか?
私は昔から、「あ、私はこの人に嫌われているんだ」とすぐ思う癖がありました。
特に、ちょっとぶっきらぼうな言い方だったり、声が小さかったり、早口だったり、語尾が強かったりといった、【私への伝え方・話し方】について凄く敏感になってしまっていました。
このお話のポイントは、「私は」嫌われている という点。
もっと極端に表現すると、
「私だけが」嫌われている。
こう感じてしまっていることです。
人々は私を嫌っている 、人は私だけを嫌っている
どちらが拒絶感が強いと感じますか?
後者の、「私だけ」の方が、なんとなく拒絶感が強いと感じるんじゃないかなーと思います。
めっちゃ、辛いんですよね。
だからこそ、自分以外の人への言い方に触れる機会(複数人で集まるご飯会や会議など)に参加して、昔私だけを嫌っているんじゃないか?と疑ったその人が、自分以外の人にも少しぶっきらぼうだったり早口に話していると、「私が嫌われている訳ではなかったんだな」と感じて安堵していました。
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この【嫌われているかも→安堵】のループって、無限に起こるですよね。。
安堵してもそれは一瞬で、別のシチュエーションや人で同じことが起こると、また「私は嫌われている」と感じてしまいます。
私は長らくこの感覚に苦しんできました。
でも心理学を学んで少しずつ少しずつ、不必要に自分を責めることが減ってきたように思います。
そこで今回は、私と同じような感覚で苦しむあなたに向けて、
「嫌われていると感じてしまう原因と解決策」について書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです
どうして嫌われてると感じるのか?を考える
パターン① 自己概念が「嫌われる自分」である
自己概念とは、セルフイメージの事を言います。
ポジティブなものもネガティブなものも両方あり、例えば、
・私は周りの人にこんな風に接する人間である
・私は周りの人からこんな風に扱われる人間である
・私は○○で貢献できる人間である
・私は○○ができない人間である
など、自分で自分に貼りつけている自己イメージだと思っていただくと分かりやすいかもしれません。
さて、そのセルフイメージが、「私は周りの人から嫌われている人間である」だとしたら、どうでしょうか?
一説によると、私たちは3歳~4歳ごろに自己概念が形成されるそうです。
赤ちゃんの頃よりも少しずつできることが増え、年齢が上がるにしたがって親のしつけも増えてくる頃ですね。
その過程で、
・親からよく怒られていた
・お手伝いをしようとしたら断られた
・弟や妹の世話で両親にかまってもらえなかった
・学校でいじめられた経験がある
などといった、ネガティブな体験があるとしたら。
たまたまその時、何か自分や相手に事情があっただけ、環境がそうさせただけだったかもしれないのに、「どうせ私は嫌われる」とあたかもそれが自分の全てかのように感じてしまうことがあるようです。
そして、そのイメージのまま成長し、どんな環境になっても、関わる人が変わっても、勝手にそのイメージが想起されてしまうのですね。
パターン② あなたが嫌った誰かへの「投影」
次は、心理学ではおなじみの投影です。
投影とは、【自分が過去にした行動に関して、同じ状況下では相手も同様に行動するに違いない】と思う心理法則の事です。
今回のテーマを使って分かりやすく言うと、過去、嫌いな人に自分がした態度を誰かからされると、相手も私を嫌いに違いないと思ってしまう。ということです。
例えば、
→もしかしたら、相手は声をかけられたことに気付いていないだけかもしれないのに。
嫌いな人のLINEはブロックするタイプだと、他人からLINEの返事が遅いと嫌われていると思います。
→もしかしたら、今忙しいだけかもしれないのに。
(少しマニアックですが)嫌いな人には”あえて”ニコニコして本性を明かさないタイプだと、他人がニコニコと話しかけてきたら警戒してしまうでしょう。
→ただ好意的に思ってくれているだけかもしれないのに。
こんな風に、過去の投影によって「自分は嫌われているかも」と感じることもあるようです。
パターン③ 相手に期待していた
これはちょっと耳が痛い話かもしれませんが…。
私たちは、あまり知らない相手である程、勝手にイメージを作ったりします。
例えば、
・あの人はきっと優しくていい人で、どんな時も笑顔で話をしてくれるはずだ
・あの人はおっとりしていて、癒しの声でゆっくり話すはずだ
・あの人は明るくて元気で、楽しく話をしてくれるはずだ
こんな風に。これ、実際に私もめちゃくちゃやってました。笑
心理学では、期待は必ず裏切られる(期待は失望に変わる)と言われています。
というのも、相手に対して「○○してくれるはず!」と期待した分だけ、そうしてくれなかった時の失望は大きくなります。
そして、自分が嫌われているから期待通りの反応ではなかったんだ…と、自分を悪者にする自己概念に繋がることもあると思うのです。
ちなみに、期待は自分にもしています。
「私はこんなに丁寧に接しているのだから、相手もそれに応えてくれるに違いない」などと言った期待です。
これも、相手の反応が自分の想定以下だった場合失望に変わるので、あまりおすすめはできません。
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嫌われていると感じた時の、3つの改善策をご紹介
ではここから、「嫌われていると感じやすい」ことへの改善策を書いてみようと思います。
① 自己概念を少しずつ変えてみる
ずばりキーワードは、「それって本当にあなたのせい?」です。
前編で例に出した、怒られたり断られたり、いじめにあったりという体験は、いとも簡単に私たちに「私が嫌われている」という自己概念を作り上げます。
さらにいうと、「私が嫌われているのは私が悪いからだ」という自己概念になることが多いのではと思います。
要は、自分は悪くてちっぽけでダメな人間だと自分を責めているという状態です。
でも、それって真実でしょうか?
例えばこんな風に考えることもできませんか?
・親からよく怒られていた
→親が仕事で忙しく、イライラしていることが多かったなぁ
・料理のお手伝いをしようとしたら断られた
→仕事で遅くなり、お母さんは急いで料理を作る必要があったのかなぁ
・弟や妹の世話で両親にかまってもらえなかった
→私だからかまってもらえなかったんじゃなく、何もできない赤ちゃんが死なないように、両親は面倒を見る必要があったのかもしれないなぁ
・学校でいじめられた経験がある
→学校が閉鎖的な雰囲気で、みんなにフラストレーションがたまっていたのかもしれないなぁ
つまり、何が言いたいかというと、必ずしも、あなたのせいではないんです。
環境や相手がおかれた状況が、その事実を創り出したと、考えることもできると思うのです。
上の例を客観的にみてみると、そう感じませんか?
でも私たちは、自分が体験したネガティブな出来事は、自分のせいだと無意識に認識してしまうことが多くあります。
だからこそ、こんな風に私が悪い→環境や状況に原因があるかも?と考えてみることがとても大切かなぁと思います。
② 投影を取り戻す
大前提として、自分と他者は違うという事を認識することが大切です。
今回のテーマを使うと、「私は苦手な人がいたらこんな態度だけれど、みんなそうとは限らないということに気付く」これがまず大切です。
これは、全ての出来事に共通することです。
ただ、一つお伝えしておきたいのは、人は基本的に自分の過去の経験を投影して人間関係を円滑に回しています。
だから、投影をやめるっていうのは無理な話なんですよね。笑
例えば、下記のような投影を使って、自分と周りをハッピーにすることもできます。
・昔私がされて嫌だったことは、しないようにしよう
・昔私がされて嬉しかったことは、人にもしてあげたい
・昔○○をして楽しかったから、友達にも紹介しよう
・昔○○な失敗をしたから、一緒に働く仲間にも注意喚起してあげよう
ただ、もし投影を使って自分の人間関係が円滑にいかないことが起こっているとしたら。
そこに何か勘違いがないか?自分と他者は違うという認識が抜けていないか?を考えてみてもいいかもしれません。
③ 期待ではなく”願い”にする
前編でもお伝えしましたが、期待は失望に変わってしまうんですよね。
でも、期待って誰もがするもので、しないようにするって難しいと思うんです。
特に頑張り屋さんな人ほど、期待をエネルギーにして頑張ってこられた人も多いと感じています。
そこでご提案したいのが、期待する代わりに、「こうだといいなぁ~」という”願い”に変換するという事です。
例えばこんな感じです。
・あの人はきっと優しくていい人で、どんな時も笑顔で話をしてくれるはずだ
→優しくて笑顔で話をしてくれたらいいなぁ~
・あの人はおっとりしていて、癒しの声でゆっくり話すはずだ
→おっとりして癒しの声だったらいいなぁ~
・あの人は明るくて元気で、楽しく話をしてくれるはずだ
→明るくて元気で、楽しく話ができたらいいなぁ~
ちょっと、やわらかくなったように感じませんか?
この変換は、私の気持ちと相手の気持ちをどちらも尊重している状態と言えるのではないでしょうか。
もし、自分の願い通りじゃなかったとしても、必要以上の期待をしていない分、「残念だな~」とは思うかもしれませんが、「最悪だ!!がっかりだ!!」と大きな失望は起こりにくいかなと思います。
このように、起こることへのコントロールをやめていくことで、自分も相手も無理しない状況をつくっていく。
これが人間関係をうまくいかせるコツだと私は感じています。
さいごに
嫌われていると感じたとき、あなたは誰も愛していない
ちなみに、自分が嫌われていると感じると、わたしたちは被害妄想を作ってしまう事もあります。
そして、「攻撃された」と思い、怒りがこみ上げてくるのです。
ただ、ぜひこのブログを読んで下さっているあなたにお伝えしたいなぁと思うのは、実はその状態の時、
【あなたは相手を愛していないのです】
(あーーー、グサグサくる。笑 自分で書いていて、いやぁ本当にそうだよなぁ。どーせ嫌われてる!って怒って拗ねて、相手の事、嫌ってきたよなぁ‥。と、私自身思います。)
こうなると、私たちは、自分の怒りをなんとか正当化しようとします。
どれだけ相手は理不尽か、酷いか、悪いやつか、そんなことをどうやったら証明できるか、考えたりします。
でも、それよりはまず、自分が相手を愛することを止めたということに、目を向けてみてもいいかもしれません。
なぜかというと、愛を「止めなければならなかった」ということは、元々、あなたはその人を愛していたり、大切に思っていたり、少なくとも仲良くしたかった、ということだからです。
元々なかったものを、止める必要はないですからね。
自分の中に元々あった思いに気付くこと。
これが、勘違いかもしれない被害妄想から抜ける第一歩かもしれないなと思います。
全員から好かれようとしていませんか?
また、「嫌われているかも」と思いやすい人って、全員から好かれたいと思っていることも多いと思うんです。
ちなみに私もそうでした。なんなら、今もちょっとそう思ったりしてます。
だって、嫌われるって、やっぱり嫌じゃないですか。笑
ただ、個人的に知っているだけで気持ちが楽になるなぁという法則があるので、最後にご紹介したいと思います。
2:6:2の法則って、聞いたことないでしょうか?
簡単にいうと、集団心理として、2割はあなたに賛同、6割は普通、2割は反対するという法則です。
つまり、誰でも(←これ大事)、2割の反対は存在するし、賛同も反対もしない人は6割存在するんです。でも、もしあなたの中に、
・自分に対して賛同してくれる人(好意的な人)
・自分に対して反対する人(嫌いな人)
この2つの選択肢しかなかったとしたら。
6割の、あなたに喜んで賛同はしないけれど反対もしていないという人(=普通の人)は、自分を嫌う人になってしまうんですよね。
つまり、合計で8割が反対派のように感じてしまいます。(これはかなりアウェーな感じがすると想像できますよね…)
この考えをもつというのは、あなたが普段から周りの人に丁寧に友好的に接しているという証でもあるかもしれません。
その場合は、
あなたが「一般的にみんなが基準としているものよりも、実は周りにかなり友好的であるらしい」ということ。
そして「全員に好かれるというのは無理で、それが普通である」と知ること。
このふたつを思い出すことで、ちょっと気持ちが楽になることもあるんじゃないかなと思ったりします。
***
今回ご紹介したのはほんの一例ですが、必要以上に他者の目が気になってしまう時、嫌われたと感じやすいとき、何か参考になると嬉しいなと思います。
長い年月をかけて積み重なった心の癖は、一気には変わりません。
ゆっくり、あなたの見ている世界や感じる感覚が良い風に変わっていくのを、一緒に楽しめるといいなと感じています。