「愛されていない」と感じることは、とても辛い
今回は、「自分は愛されていない」という気持ちを感じやすい方にむけて、書いてみようと思います。
***
少し私の話をさせてください。
以前、少し体調を崩して、仕事を1か月ほど休むことになったんです。
休職中、ちょうど実家に帰るタイミングがあったので、休職したことを両親に伝えました。
が、そこで事件が起こったんです…
私の言葉を聞いたとき、
父から返ってきた言葉は、
「1か月は休みすぎだなぁ(笑)」
母から返ってきた言葉は、
「そんなことで病院代使って、何のために働いてるの…。」
だったんです。
…はい。秒速で、両親への心のシャッターを下ろしました。笑
(ガシャーン!って、心の中ですごい音したなぁ)
「心配してくれるかな?と期待した私がバカだった」
「もうしばらく家に帰ってやるもんか」
「ちょっとぐらい心配するのが人ってもんじゃない?」
「やっぱり私の気持ちなんて分かってくれないんだ」
こんな気持ちがぶわーーーーっとこみあげてきて、もうなんだかよく分からない状態になりました。
いつもなら、あーもういい!と心の中で悪態をつきながら、作り笑顔をしてやり過ごすのですが。(こういうの、引きこもりの怒りって言います。笑)
今回は、「これ、人生でもう何回目?疲れた。いい加減終わらせたいな。」と思ったんです。
まぁ正直に言うと、心理学を学んでいて、カウンセラーまでさせていただいてて、自分がこれでは、まずい。
そう思ったのが本音なのですが。笑
「愛されていない」と感じる出来事がなぜ起こったのか?
そこで、自分が感じた感情は一旦横においてみました。
そして両親が、なぜ私にあんなことを言ったのか、冷静に考えてみたんです。すると、
私の頭の中の声
・両親が私を愛していることは分かっている。
・傷つけたくないことも分かっている。
・太陽が沈んだら暗くて危ないから早く帰りなさいと言われるぐらい、過保護にも育てられた。(30を過ぎた今でも言われる)
・そんな両親が、わざわざ私がショックを受けるようなことを言うだろうか?しかも、2人とも。
うーーーん。おかしい、、!これはおかしいぞ!!
こんな風に思ってきたんです。
そして頭の中に浮かんできた言葉はこれでした。
もしかして、私の伝え方がそうさせたのでは、、?
・・・図星でした。
思い返してみると、思い当たる節がたっくさん出てきたんです。
***
私がどんな風に、仕事を休むことを伝えたかというと、
・大前提、めちゃくちゃ元気に話す!
・会社の制度で使えるものは使わないとね!とかわざわざ言う
・上司が休職OK出してくれてラッキー!と、本当は休職しなくても大丈夫風を装う
・夏休みだーと、休職と休暇をすり替える
・診断書ってすぐ書いてもらえるんだね~と、そこまで体調不良が酷くないように振舞う
うーーん、なんというか、
「大した事ないよ!!」「休暇もらえてラッキー!」を全力で伝えてる感じですね。笑
でも、私が伝えたかったのはこんなことじゃなかったんですよね。
本当は、
今の環境で働くのは辛かった。
全然うまくやれなかった。
その自分がショックだった。
居場所がなくなるのが怖い。
だから、助けてほしい。
この言葉だったのに…。
私は、何ひとつ伝えていなかったんです。
嘘の態度と、嘘の言葉ばかり伝えていました。
それで、分かってもらえるはずがなかったんですよね。
「愛されていない」と感じた時、本心を伝えられなかった理由
さて。
なぜ私が、本心ではなく「たいしたことないよ~」と言ってしまったのかというと、
上手くやれない私が恥ずかしかったんです。
心配かけたくなかったんです。
そして心のどこかで、「あなたが悪いんじゃない?」って責められるのが、すごく怖かったんです。
これらは、全て「投影」と呼ばれるものです。
投影というのは、【相手は私に対してこんな風に思っているだろう】と感じることは、
【自分が過去、それと同じ感情を誰かに感じた】という経験によって、
相手も同じように思うに違いないと、相手の感情を決めつけてしまう心の働きのことを言います。
つまり、今回のエピソードでいうと、
恥ずかしいと思ったのは、
上手くやってよ!と親を責めたことがあるくせに、自分も上手くやれなかったから。
上手くやってよ!と責めたその時、親を愛することをやめたから。
その投影で、上手くやれている私じゃないと、愛される価値がないと決めつけたから。
心配をかけたくないと思ったのは、
期待外れだと、手のかかる娘だと、思われるのが嫌だったから。
でもそれは、期待外れだと、手のかかる親だと、私が両親を責めたことがあるということ。
責められると思ったのは、
誰かの相談に「それはあなたが悪いんじゃない?」と思った過去があるから。
だから、自分が相談しても、「それはあなたが悪いんじゃない?」と人は私に言うだろいうという、投影が起こったということ。
両親を、
条件付きの愛しかくれない人にしたのは私。
両親を、
私を責める人にしたのは私。
この話は、
私の気持ちを分かってよ、味方してよ、心配してよ。
だってあなたたち親でしょ?
こういった期待を持ちながら、でもどうせ伝わらないだろうという確信もって伝え、案の定期待した反応が返ってこなくて、ある種期待通りだと感じながら失望した。
そんな、おかしな、自作自演の案件だったのです。
***
これに気が付いたとき、心にグサッときました。
だって、
分かってくれない親が悪い!と責めていたけれど、本当は私が悪いじゃないか‥と気が付いたから。
ただ、この考え自体が、自分を苦しめる罠だなぁと思ったりもします。
人間関係で、自分を含めた誰かを悪者にして責めている限り、加害者と被害者が生まれ、物事は好転しません。
では、どうしたらいいのでしょうか?
間違いに気づいたときは、喜ぶべし
めちゃくちゃ難しいことを言っていることは百も承知なのですが、、
自分が「あー間違ってたなぁ」と気づいたときに大切なのは、
「あぁこれで、間違った認識を修正できる」
こう思う事なんじゃないかと思うのです。
そして修正するには、アカウンタビリティが必要です。
アカウンタビリティというのは、「起こることの全ては自分に責任がある」という考え方です。
勘違いしてほしくないのは、これは起こったこと自体が自分のせいだ!と自分に責任を負わせるということではなく、「出来事をどう解釈するかは、自分で決められる」というある意味ポジティブな考え方です。
※ちなみに、企業において使われるアカウンタビリティは〈説明責任・説明義務〉のことを指すので、少し違った意味となります。
今回私に起こった出来事を例にすると、
「分かってくれない親が悪い!」と親の責任にしている状態から
「分かるように“私が”伝えよう」と自分を主語にすること。
「今こんなに苦しくて、悲しくて、かわいそうな自分なのに、なんで慰めてくれないの!?」と怒っていた私ですが、この解釈は”私が勝手に”していたものだと気づき、”私が”その解釈を変えること。
これがアカウンタビリティです。
***
ちゃんと、伝える。表現する。
ごまかさない。信頼する。
すっごく怖いですよね。
自分が吐いた唾が、返ってきますから。笑
親を責め、怒り、失望し、悪態をついた。
そんなひどいことをした私が、今更優しい言葉をかけてもらえるはずがないと思うから。
でも、それは自分で回収するしかないんですよね。
もちろんサポートは借りて良いんです。
というか、借りるのが大事です!
友達や、カウンセラーや、信頼できる人に、「大丈夫」と背中を押してもらってください。
あなたより、周りにいる人の方が、あなたがどれだけ愛されているか?ということは分かっていますから。
ただ最後は自分で、一歩踏み出すことが必要そうだなぁと、思ったりします。
あなたにもありませんか?
どうせ分かってくれない
どうせ共感してくれない
どうせ嫌われている
どうせ大切にしてくれない
どうせ、どうせ、どうせ。
こんな感情に支配されること。
これが出てきたときの鍵は、
・あなた自身が目のまえの相手を、わかってくれない、共感してくれない、私を嫌う、大切にしてくれない人にしていないか?
・自分の伝えかたは、態度は、どうだっただろうか?
そこに注目してみてほしいなぁと思います。
自分の気持ちを、正直に伝える。
ただそれだけのことが、とてつもなく難しい。
こどもの頃には自然にできたことが、大人になるとどんどんできなくなりますよね。
でもそれは、大切な人の笑顔を守りたいと、あなたがこれまで必死に頑張ってきた証拠でもあると思うのです。
(後日談)素直になってみたら…
さて、後日談ですが、両親に伝えました。
「仕事の環境はすごく辛かった」と。
そうしたら、
「いつでも実家に帰ってきていいからね」
「旅行に行ってリフレッシュしてきなよ!○○とか、凄くよかったよ!」
「1か月休めることになって本当によかったね」
なんて、言われました。笑
私が素直に伝えたら、私が欲しかった言葉は、想像以上の愛となって返ってきました。
癒しって、一瞬なんですよね。
何年も、何千回も、何万回も悩んだことが、一瞬で消える。
少しの気づきと、少しの勇気で、問題の捉え方を変えてみる。
そして自分から行動してみる。
すると、ちょっと笑っちゃうぐらい、癒しは簡単に起こるようです。
私もまだまだチャレンジ中。
あなたも、一緒に、チャレンジしてみませんか?
では、今回はこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。