「愛されていない」と感じる理由と、それを愛されるチャンスに変える方法

「愛されていない」と感じることは、とても辛い

「自分は愛されていない」という感覚をもっているというのは、とても辛いことだと思うんですよね。

愛されていないという表現には、「誰の役にも立てない」「誰かをいい気分にすることができない」など、色々な自分を否定する声が隠れているような気がします。

ただ、カウンセリングでよくお話をうかがうテーマとして、「自分は愛されていない」というお悩みはたくさんいただくことがあるのも事実なんですよね。

それぐらい、愛されていないという感覚は私たちの日常に大きな影響を及ぼすんだと思うんです。

さて、今回は、この「愛されていない」と感じる心理を、私の経験からお伝えしてみようと思います。

私がなぜ愛されていないと感じ、そしてそれを愛されるチャンスに変えたのか。

まぁ過去の失敗談、といえばそうかもしれませんが(笑)、少しでもそれがお役に立てればと思っています。

目次

さて、私は一度体調を崩して、仕事を1か月ほど休んだことがあります。

休職中、ちょうど実家に帰るタイミングがあったので、休職したことを両親に伝えました。

私の言葉を聞いたとき、

父から返ってきた言葉は、
「1か月は休みすぎだなぁ(笑)」

母から返ってきた言葉は、
「そんなことで病院代使って、何のために働いてるの…。」

だったんです。

この言葉を聞いた時、「全然愛されていない!」と感じたんですよね。

「心配してくれるかな?と期待してしまっていたんだな」
「しばらく家に帰りたくないな」
「やっぱり私の気持ちは伝わらないんだな」

こんな気持ちがぶわーっとこみあげてきて、自分でもよく分からない状態になりました。

まぁ、こういうことは、これまでにもあったんですよね。

そしていつもなら、「もうわかってくれなくていいや」と心の中で悪態をつきながら、作り笑顔をしてやり過ごしたりしていました。

作り笑顔しているということは、めちゃくちゃ怒っているわけですが…。

ただ、その時の私は、いつもと違う選択をしたんです。

「これ、もう何回目だろう、疲れたなぁ。いい加減終わらせたいな。」そう思ったんです。

まぁ正直に言うと、心理学を学んでいて、カウンセラーまでさせていただいてて、自分がこれでは、まずい。
そう思ったのが本音なのですが。笑

「愛されていない」と感じた理由

なぜ私が「愛されていない」と感じたのか、もう一度考えてみることにしたんです。

まず、自分が感じた感情は一旦横においてみました。

そして両親が、なぜ私にあんなことを言ったのか、冷静に考えてみたんです。すると、

私の頭の中の声として、

・両親が私を愛していることは分かっている。

・傷つけたくないことも分かっている。

・日が沈んだら早めに帰りなさいと言われるぐらい、心配してもらった。


そんな両親が、わざわざ私がショックを受けるようなことを言うだろうか?

言わないんじゃないかな…。

こんな風に思ってきたんです。
そして頭の中に浮かんできた言葉はこれでした。

もしかして、私の伝え方がそうさせたのでは、、?

図星でした。
思い返してみると、思い当たる節がたくさん出てきたんです。

***

私がどんな風に、仕事を休むことを伝えたかというと、

・めちゃくちゃ元気に話す!

・会社の制度で使えるものは使わないとね!とかわざわざ言う

・休職できてラッキー!と、本当は休職しなくても大丈夫風を装う

・休職と休暇をすり替える

・そこまで体調不良が酷くないように振舞う

うーーん、なんというか、
「大した事ないよ!」と、全力で伝えてる感じですね。

でも、私が伝えたかったのはこんなことじゃなかったんですよね。

本当は、

今の環境で働くのは辛かった。
全然うまくやれなかった。
その自分がショックだった。
居場所がなくなるのが怖い。


だから、助けてほしい。

この言葉だったのに…。

私は、何ひとつ伝えていなかったんです。
嘘の態度と、嘘の言葉ばかり伝えていました。

それで、分かってもらえるはずがなかったんですよね。

「愛されていない」と感じた時、本心を伝えられなかった理由

さて。
なぜ私が、本心ではなく「たいしたことないよ」を伝えてしまっていたかというと、

上手くやれない私が恥ずかしかったんです。
心配かけたくなかったんです。

そして心のどこかで、「あなたが悪いんじゃない?」って責められるのが、すごく怖かったんです。

これらは、全て「投影」と呼ばれるものです。

投影というのは、【相手は私に対してこんな風に思っているだろう】と感じることは、

【自分が過去、それと同じ感情を誰かに感じた】という経験によって、

相手も同じように思うに違いないと、相手の感情を決めつけてしまう心の防衛機制のことを言います。

つまり、今回のエピソードでいうと、

恥ずかしいと思ったのは、
上手くやってよ!と親を責めたことがあるくせに、自分も上手くやれなかったから。
上手くやってよ!と責めたその時、親を愛することをやめたから。
その投影で、上手くやれている私じゃないと、愛される価値がないと感じていたから

心配をかけたくないと思ったのは、
期待外れだと、手のかかる娘だと、思われるのが嫌だったから。
でもそれは、期待外れだと、手のかかる親だと、私が両親を責めたことがあるということ。

責められると思ったのは、
誰かの相談に「それはあなたが悪いんじゃない?」と思った過去があるから。
だから、自分が相談しても、「それはあなたが悪いんじゃない?」と人は私に言うだろいうという、投影が起こったということ。

つまりこの話は、

私の気持ちを分かってよ、味方してよ、心配してよ。
だってあなたたち親でしょ?

こういった期待を持ちながら、でもどうせ伝わらないだろうと思いながら伝えた結果、

予想通り期待した反応が返ってこなくて、失望した。

こんなことが起こっていたのでした。

***

これに気が付いたとき、なんだか申し訳ない気持ちになったことを覚えています。

だって、
分かってくれない親が悪い!と責めていたけれど、私が分かってもらえないように伝えていたんじゃないかと気が付いたから。

ただ、この考え自体が、自分を苦しめる罠だなぁと思ったりもします。

人間関係で、自分を含めた誰かを悪者にして責めている状態って、加害者と被害者が生まれています。

ただこの状態、加害者と被害者を交代しながら、ずっと続きやすいんですよね。

そして、お互いに苦しい。

では、どうしたらいいのでしょうか?

「愛されていない」を、「愛されるチャンス」に変える方法

自分が「間違ってたなぁ」と気づいたときに大切なのは、

「あぁこれで、間違った認識を修正できる」

こう思う事なんじゃないかと思うのです。

もちろん、そんなに簡単にいかないことはわかっています。

でも、これが、加害者も被害者もいない状態の第一歩だと思うんですよね。

そして自分の認識を修正するには、アカウンタビリティが必要です。

アカウンタビリティというのは、「起こることの全ては自分に責任がある」という考え方です。

勘違いしてほしくないのは、これは起こったこと自体が自分のせいだ!と自分に責任を負わせるということではなく、「出来事をどう解釈するかは、自分で決められる」というある意味ポジティブな考え方です。

※ちなみに、企業において使われるアカウンタビリティは〈説明責任・説明義務〉のことを指すので、少し違った意味となります。

今回私に起こった出来事を例にすると、

「分かってくれない親が悪い!」と親の責任にしている状態から
「分かるように“私が”伝えよう」と自分を主語にすること。

「今こんなに苦しくて、悲しくて、かわいそうな自分なのに、なんで慰めてくれないの!?」と怒っていた私ですが、この解釈は”私が選んで”していたものだと気づき、”私が”その解釈を変えること。

これがアカウンタビリティです。

***

ちゃんと、伝える。表現する。
ごまかさない。信頼する。

すっごく怖いと思うんです。

誰かを責め、怒り、失望し、悪態をついた。
そんなひどいことをした私が、今更優しい言葉をかけてもらえるはずがないと思うから。

自分ひとりで考えていると、どんどん、自分を責める気持ち、後悔する気持ちが湧いてくるかもしれません。

だからこそ、友達や、カウンセラーや、信頼できる人に、「大丈夫」と背中を押してもらってください。

あなたより、周りにいる人の方が、あなたがどれだけ愛されているか?ということは分かっていますから。

ただ最後は自分で、一歩踏み出すことが必要そうだなぁと、思ったりします。

あなたにもありませんか?

どうせ分かってくれない
どうせ共感してくれない
どうせ嫌われている
どうせ大切にしてくれない
どうせ、どうせ、どうせ。

こんな感情に支配されること。

これが出てきたときの鍵は、

・あなた自身が目のまえの相手を、わかってくれない、共感してくれない、私を嫌う、大切にしてくれない人にしていないか?

・自分の伝えかたは、態度は、どうだっただろうか?

そこに注目してみてほしいなぁと思います。

自分の気持ちを、正直に伝える。
ただそれだけのことが、とてつもなく難しい。

こどもの頃には自然にできたことが、大人になるとどんどんできなくなりますよね。

でもそれは、大切な人の笑顔を守りたいと、あなたがこれまで必死に頑張ってきた証拠でもあると思うのです。

後日談

さて、後日談ですが、両親に伝えました。

「仕事の環境はすごく辛かった」と。

そうしたら、

「いつでも実家に帰ってきていいからね」

「旅行に行ってリフレッシュしてきたら?○○とか、凄くよかったよ!」

「1か月休めることになって本当によかったね」

なんて、言われました。

私が素直に伝えたら、私が欲しかった言葉は、想像以上の愛となって返ってきました。

癒しって、一瞬なんですよね。
何年も、何回も悩んだことが、一瞬で消えることもある。

少し、問題の捉え方を変えてみる。
そして自分から行動してみる。

すると驚くぐらい、癒しが簡単に起こることもあるようです。

これはあくまでも私の体験です。

ですが、人生の中ですごく大きな体験だったと思います。

全てがこんなにうまくいくとは思っていません。

ただ、もしあなたの中に「愛されていない」という感覚があり、そのことに悩まれているとしたら。

一つの事例として、考え方としてご紹介したいなと思い、書かせていただきました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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